石田秀実『中国医学思想史』を読む 2

 

石田秀実『中国医学思想史』196頁

「なお、この時代の外科医学を伝える書としては、『諸病源候論』や後述の大部の方書群のほか、斉の永元元年(499)に編まれた龔慶宣の『劉涓子鬼遺方』が重要である。癰疽を中心として打撲・刀傷・火傷から皮膚病にいたる多様な外科疾患の治療法を記している。水銀製剤を皮膚病の治療や排膿に使用したり、砭石や手術用の鍼による切除術に際しての加熱消毒など、世界外科史上からも注目すべき記述が多い。」

 

そこで、『劉涓子鬼遺方』を見てみる。

「水銀製剤」や「鍼の加熱消毒」にあたる記載を、確認してみたい。

 

「水銀製剤」については、『劉涓子鬼遺方』巻五に、「水銀膏方」があった。

 

「治病疥癬、悪瘡、散熱。水銀膏方。

水銀  礬石  蛇床子  黄連  以上各一両。

右四物、両度篩い、臘月の猪脂七合を以て和し、并びに水銀もて撹し、調えしめ、打つこと数万過、銀を見ざれば膏成る。瘡に傅く。若し膏少なければ、益ます取る。并びに小児の頭瘡に良し。(龔慶宣、蘆茹一両を加う)」

 

『高等中医院校教学参考叢書・中医外科学』では、『劉涓子鬼遺方』の水銀膏による皮膚病治療は、他国よりも600年早いと記している。

 

もちろん水銀そのものは『神農本草経』に「治疥瘙、痂瘍、白禿、殺皮膚中蝨…」などとあり、『中国医学通史・古代巻』76頁で、馬王堆出土『五十二病方』について、「とくに瘡瘍や疥癬で雄黄や礬石(砒素剤)、水銀(汞剤)を使用しているのは、世界に先駆けた記載である。」というように、『五十二病方』にも記載がある。

 

石田秀実『中国医学思想史』55頁にも、『五十二病方』について、「こうした薬物の量、金・水銀などの貴重さ、時には犬や鶏をまるごとつぶしてしまうような使い方から考えれば、この書の処方を使うことができた階層は、ごく限られていたに違いない。」とあって、『五十二病方』に水銀が使われていたことにも触れている。

 

だから、『劉涓子鬼遺方』において「注目すべき記述」というのは、水銀の使用そのものというより、水銀「製剤」として、固定化された水銀処方ができていた、ということなのだろう。

 

「鍼の加熱消毒」については、『劉涓子治癰疽神仙遺論』の「針烙宜不宜」がそれにあたりそうだ。

 

人民衛生出版社、中医古籍整理叢書の『劉涓子鬼遺方』には、末尾に附録として、佚文と『劉涓子治癰疽神仙遺論』を載せている。

 

『劉涓子治癰疽神仙遺論』は、『劉涓子鬼遺方』の別本とみなされている。

馬継興『中医文献学』によれば、唐代には『劉涓子鬼遺方』の「方」を「論」に改めた『劉涓子鬼遺論』という書名がみられ、宋代になると「鬼」を「神仙」に改めた『劉涓子神仙遺論』という書名がみられるようになるとのこと。

 

その「針烙宜不宜」には、銅針や鉄針を真赤になるまで火で炙って、癰疽を刺して膿を出す方法が書いてある。

今でいう焼針や火針、内経にいう燔針にあたるものですな。

 

中国医学通史・古代巻』179頁には、

「焼烙法や火針は、手術に使う刀針を火で焼いてから膿腫を刺し破り切開するものだが、このような技術は、器具の消毒によって二次感染を防ぐとともに、傷口を焼烙することで止血する目的もある。」という。

 

ところで富士川游『日本医学史 決定版』第五章・鎌倉時代の医学・外科の項に、

「外科の治術が、内科の治術に比して、殆ど選ぶところなかりしは、平安朝の時代におけると異なるところなし。但し土佐光長の奇疾草子に載するところを見るに、針を烙きて背の腫物を療するの図あり。」

という。

たぶんこれかな。

 

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『劉涓子治癰疽神仙遺論』では、麻油燈で焼く、とあるけど、この図を見ると、炭火で焼いてるようだ。