2018-01-01から1年間の記事一覧

石田秀実『中国医学思想史』を読む 5

呂復については、『明史』に伝がある。 呂復、字は元膺、鄞の人。 幼い頃に父親を亡くして貧乏だったが、師について経書を学んだ。 その後、母が病気になり、医者を求めたところ、衢の人である鄭礼之という名医に遭遇した。 やがて謹んで鄭礼之に師事するこ…

石田秀実『中国医学思想史』を読む 4

葛応雷の名は、もう一か所出てくる。 同じ270頁。 「四子」もしくは「四大家」と呼ばれるこの四人は、最初は劉完素・張従政の去邪の医学と張元素・李杲の補益医学という組み合わせで語られることが多かった(葛応雷・呂復など)(3)が、やがて従政を除いて…

石田秀実『中国医学思想史』を読む 3

第六章 新理論の整理統合 1 新儒教の影響 新理論の整理・統合と「四大家」意識の変遷 「劉完素・張元素の説にもとづいて『医学会同』(元・葛応雷撰。佚)といった書が著されるところに、この時代の雰囲気がうかがわれる(1)。」(270頁) そこで、注(1)…

石田秀実『中国医学思想史』を読む 1

石田秀実『中国医学思想史』東京大学出版会 第四章 古典理論の再編と展開 5 西方医学の流入と信仰治療 華佗の伝説と外科医学 「孤立例のように思われがちな開腹手術も、戦傷者の救急法として他の医書に記されている(『諸病源候論』巻三十九)。(195頁) …

石田秀実『中国医学思想史』を読む 2

石田秀実『中国医学思想史』196頁 「なお、この時代の外科医学を伝える書としては、『諸病源候論』や後述の大部の方書群のほか、斉の永元元年(499)に編まれた龔慶宣の『劉涓子鬼遺方』が重要である。癰疽を中心として打撲・刀傷・火傷から皮膚病にいたる…