石田秀実『中国医学思想史』を読む 1
第四章 古典理論の再編と展開
5 西方医学の流入と信仰治療
華佗の伝説と外科医学
「孤立例のように思われがちな開腹手術も、戦傷者の救急法として他の医書に記されている(『諸病源候論』巻三十九)。(195頁)
そこで、『諸病源候論』巻三十九を開く。
巻三十九 婦人雑病三
月水不利無子候
月水不通無子候
子蔵冷無子候
・・・
???
どうもちがう。
戦傷者、開腹手術をキーワードに探してみると、どうも巻三十六・金瘡諸病・金瘡腸断候が、それらしい。
巻三十六 金瘡諸病
金瘡諸病
金瘡腸断候
夫金瘡腸断者、視病深浅、各有死生。
腸一頭見者、不可連也。
若腹痛短気、不得飲食者、大腸一日半死、小腸三日死。
腸両頭見者、可速続之。
先以針縷如法、連続断腸、便取雞血塗其際、勿令気泄、即推内之。
腸但出不断者、当作大麦粥、取其汁、持洗腸、以水漬之、内、当作研米粥飲之。
二十余日、稍作強糜食之。
百日後、乃可進飯耳。
飽食者、令人腸痛決漏。
常服銭屑散。
しかしこれは、開腹手術というより、刀傷で、すでに腸が出てしまっているものに対する処置だよな・・・
と思いつつ、傅維康主編『中国医学の歴史』(東洋学術出版社)をみると、やはりこの部分が「腸吻合術」として紹介されている。
「いっぽう、外科手術も前人より継承された方法を発展させ、臨床に応用されていた。例えば、『諸病源候論』の「金瘡腸断候」に、「腹サン(大網ー胃の腸間膜の一部)摘出手術においては、まず糸で血管を結紮しその後に切除すべきことが記されている。また、「腸吻合術」については、「腸の二頭見ゆるは、これを連続すべし、先に鍼縷(鍼と糸)を以って法の如くし断腸を連続し、便ち鶏血を取りて其の際に塗る」との記載がある。これらの内容は、当時の臨床医学が、腹部外科手術について、すでにかなりの経験を有していたことを示している。」(269頁)
結論➀
『中国医学思想史』195頁に、(『諸病源候論』巻三十九)とあるのは、正しくは巻三十六であった。
結論②
それは「開腹手術」というより、「腸吻合術」であった。